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  • ダビッド トゥルーベック

さらに優れた契約


Photo Ronit Yehudai Maymon エレミヤ31章31節には、神がイスラエルと「新しい契約を結ぶ」と書かれていますが、「結ぶ」という翻訳は、厳密に言えば不正確です。ヘブル語でこの節を読んでみたとき、私はてっきり「לעשות(ラアソート=作る/行う)」という言葉が使われていると思っていたのですが、実際はそれよりももっと具体的で、生々しい動詞が使われていました。


古代における契約では、単に「合意に達する」だけでは不十分でした。契約というのは必ず「כרת(カラット=切る)」しなければならなかったのです(日本語の「契(ちぎ)る」に近いかもしれません)。すなわち契約というのは、血がなければ成立しないのです。聖書の中に登場する最初の二つの契約を見てみましょう。


アブラハム契約(創世記15:9-10)

“すると主は彼に言われた。「わたしのところに、三歳の雌牛と、三歳の雌やぎと、三歳の雄羊と、山鳩と、鳩のひなを持って来なさい。」彼はそれらすべてを持って来て、真っ二つに切り裂き、その半分を互いに向かい合わせにした。”


シナイ契約=モーセ契約=旧約(出エジプト記24:8)

“モーセはその血を取って、 民に振りかけ、 そして言った。 「見よ。これは、これらすべてのことばに基づいて、主があなたがたと結ばれる(「切られる」)契約の血である。 」”


ところで、この「契約の血」という言葉に聞き覚えはないでしょうか?


預言者エレミヤは、《イスラエルとユダに対して、神が「血」によって新しい契約を切られる》と語りました。新しい契約にも「血」が必要なのです。この契約がもたらすのは、単なるアップグレード——新しい心が与えられること、律法が心に刻まれること、主を知ることなど——だけではありません。これが新しい契約として機能するためには、血の注ぎと批准の儀式が不可欠なのです。


ユダヤ人の兄弟姉妹に対して私が尋ねたいことは、「この預言はいつ起こったのか?」ということです。「この新しい契約を、神はどのようにしてユダヤ人と ”契った” のか?」ということです。神の律法が心に刻まれるという、これほどまでに強力な契約を?


その答えはもちろん、「ある一人のユダヤ人、イエスによって」です。


“また、杯を取り、感謝の祈りをささげた後、こう言って彼らにお与えになった。「みな、この杯から飲みなさい。これは多くの人のために、罪の赦しのために流される、わたしの契約の血です。”(マタイ26:27-28)


ここで注目したいのは、イエスは聖餐式によって “新しい宗教” を始めたのではない、ということです。イエスはこのとき、ユダヤ人として、ユダヤ人たちと一緒に、ユダヤ教の過越祭を祝っているのです。彼がここで思い起こしているのは、イスラエルのために与えられ、今や諸国民のためにも与えられている、旧約聖書の約束です。(エレミヤ31:31-33)


そしてその翌日、この新しい契約が批准されたのです。ワインの杯によってではなく、主イェシュアの文字通りの「血」によって、


ローマの十字架に吊し上げられ、体中から血を流したとき、イェシュアは「完了した」と言って頭を垂れ、霊を御父にゆだねました。(ヨハネ18:30)


これらはすべて、その時から七百年前に生きた預言者、イザヤの約束の成就でした。


“虐げとさばきによって、彼は取り去られた。

彼の時代の者で、だれが思ったことか。

彼が私の民の背きのゆえに打たれ、

生ける者の地から絶たれたのだと。”(イザヤ53:8)


”新しい契約” についてのエレミヤの預言から2500年、この約束を、イエス以外の誰が成就したでしょうか? 「神が血によってイスラエルと契約を契った」などという記録が他にあるでしょうか?


主イェシュアを信じた夜、私の中に驚くべき変化があったことを、私はここで証言することができます。預言者エゼキエルが語ったように、私には “新しい霊” が与えられたのです。


“あなたがたに新しい心を与え、あなたがたのうちに新しい霊を与える。わたしはあなたがたのからだから石の心を取り除き、あなたがたに肉の心を与える。わたしの霊をあなたがたのうちに授けて、わたしの掟に従って歩み、わたしの定めを守り行うようにする。”(エゼキエル36:26-27)


私はまた、新約聖書を根拠にしながら「神はイスラエルと絶縁した」と主張する人たち(置換神学)に対しても一言申し上げたいのです。エレミヤ31章をぜひ、最後まで読み進めてみてください。以下に引用する御言葉は、「神は長子イスラエルを拒絶して別の民を子とした」という誤った神理解(なんと不誠実な神でしょうか!)を捏造する人たちに向けて書かれた特別な御言葉だと、私は確信しています。


“主はこう言われる。


太陽を与えて昼間の光とし、

月と星を定めて夜の光とし、

海をかき立てて波を騒がせる方、

その名が万軍の主である方が。


「もしも、これらの掟がわたしの前から

去ることがあるなら

──主のことば──

イスラエルの子孫は絶えて、

わたしの前にいつまでも

一つの民であることはできない。」


主はこう言われる。


「もしも、上の天が測られ、

下の地の基が探り出されることがあるなら、

わたしも、イスラエルのすべての子孫を、

彼らの行ったすべてのことのゆえに退ける。

──主のことば。」”(エレミヤ31:35-37)


なんと明確でしょうか! 天が測られてしまったり、地の基が探り出されることなど、あり得ません。それと同じように、神がイスラエルの子らを拒絶することはあり得ないのです。イスラエルに対して、神は今も誠実なお方です。イェシュアは “新しい契約” の成就だったのです。

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