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  • Writer's picture ダビッド トゥルーベック

イスラエルへの神の愛による回復 の証し


安息日はユダヤ人にとって聖なる日です。ヘブライ暦は月の満ち欠けに基づいた太陰暦で、1日は太陽が沈むところから始まります。ユダヤ教の伝統では「安息日の到来を祝うこと」が重要な、毎週のイベントです。安息日のお祝いは金曜日の夕方から始まるのですが、家族全員が集まって食事をし、安息日の歌を歌い、伝統的な祝福を唱え祈り、毎週のトーラーポーション(世界中で決まっている聖書箇所)の部分について皆で話し合うのです。

テルアビブで生活する若者のほとんどは、家族なしで大都市にいます。これらの若者たちは、困難でか国な陸軍兵役を終えて、くつろぎと都市生活を受け入れるために、イスラエルのさまざまな地域から賑やかな都市テルアビブにやってくるのです。もし彼らが滞在中に福音の種を受け取ることが出来れば、故郷や都市に戻った後、イスラエルの他の地域に福音を持ち帰ることができます。

彼らの中には、テルアビブで高給の仕事を求めたり、テルアビブ大学への進学を目指したりする者もいます。彼らの多くにとって、安息日を祝える場所や家族がこの町には有りません。ですから週のうち一晩だけ、メルカズ(センター)のチームが彼らの家族になるのです。テルアビブの若者たちは、私たちの会場に来れば、金曜日にカバラット・シャバット(安息日を歓迎する行事)に参加し、一緒に祝うことができることを知っています。私たちのセンターでは、シャバットの歌を歌い、伝統的な祝福を唱え、シャバット・ディナーを食べ、トーラー五書について話し合います。

しかし、目を開いて律法のすべての章を見るとき、人はメシアであるイェシュアの伏線と、彼が木の上で私達の為にしてくださったことを見ることができます。これらのミーティングにおいて、私たちのチームは、イェシュアがエマオへの道の途上で2人の弟子に現れた時と同じように行動しました。と言うのは、イェシュアはタナフ(旧約聖書)を用いて、ご自身のこと、十字架につけられたこと、復活されたことについての真理を、エマオ途上でその弟子たちに示されたからです。

戦争という激動かつ不安定な時代にあっても、私たちはテルアビブのCPMセンターに集まり、イスラエルの人々にとって困難な時代にあっても、周りの人々を励まし、福音の光を照らし続けました。CPM日本支部は、これらの活動やその他のCPMイスラエルのプロジェクトを財政的に支援しています。

このようなイベントのひとつで、私はイェチェル・アビブを招いて証しを語ってもらいました。彼の救いの証しは、CPMテルアビブセンターで行われたその晩、出席者の多くに感動を与えました。彼の証しをここで分かち合えることをうれしく思います。神は実在し、行動し続け、その御手のおかげで、私たちは人々の人生に救いの奇跡を見ることができるのです。


〈証し〉イェチェルの出発点:虐待、暴力、喪失


📷写真からCPMテルアビブセンターで証しをする、イェチェル・アビブをご覧になることができます。


私が10歳の時、親友がガンで亡くなり、大きな衝撃を受けた。両親は私の面倒を見る時間があまりなく、学校での私の行動に耐えられなくなり、私を問題の有る子ども達のための寄宿学校に入れた。しかし、寄宿学校でも私の生活は改善されることは無く、暴力と虐待が日常化する現実が続いた。引き裂かれ、辱められ、虐待され、困難なことを目の当たりにしながら、私は成長していった。19歳になる頃には、私はハードコアドラッグや幻覚剤を使用していた。

全寮制の学校を卒業した私は、将来の展望もなく、完全に人生に迷っていた。その時、私は2つの選択肢に迫られた。自殺するか、自分の人生のために戦うか。

自分の人生のために戦うと決めたとき、私はなんとなく、向こう側に誰かがいて、私の話を聞いてくれる人がいることを知っていた。この旅の間、正気を保つための戦いの間、私はその誰かに助けを求めた。「もし私の声が聞こえるなら、私は助けを求めているのです。私は真っ暗闇の中にいるので、誰かが私を救ってください!」と叫んだものだ。

私の叫びに応えて、もちろん神は助けを送ってくださった。ある朝、バスを待っていると、一人の女性に声をかけられ、彼女は私に福音を語り始めた。彼女を形容するなら、「イェシュアのためのエネルギー爆弾」だ。彼女は興奮し、情熱に満ちあふれていた。ちょっと待って、ちょっと落ち着いて。異邦人の神であるイエスについて話す気はさらさらなかったが、同時に、何か奇妙なことが起こっていることに気づいた: アドリアナは私に、イエスはタナフ(旧約聖書)で約束されたメシアだと言い、また、旧約聖書のタナフの預言がイエスの生涯においてどのように成就されたかを詳しく語った、ヘブライ語の本『イザヤ書53章解説』を渡そうとしたのだ。しかし私の疑念にも関わらず会話を続けたいという彼女の願いを、私は拒否した。

神の待ち伏せ

しかし神は私をそう簡単には逃がさなかった。私が25歳のときに神に叫んだとき、神は私の声を聞き、私の訴えに正しい答えをもって追い続けてくださった。バス停のアドリアナという "強引な "女性がイェシュアについて分かち合おうとしてから間もなく、私は特別支援教育施設での新しい仕事を始めた。勤務初日のある日、私は突然、聞き覚えのある大きな声で "シャローム、みんなおはよう!"と言うのを聞いた。振り向くと、バス停のアドリアナだった。

「ここで何をしているの?!」私は驚いて彼女に尋ねた。

「あなたはここで何をしているの?」

二人ともそこで働いていることがわかると、私たちは笑い出した。「神様がここで何かを計画されているのよ!」彼女は目を輝かせながら私に言った。一緒に働いているうちに、私はアドリアナがいかに素晴らしく、思いやりがあり、情熱的な神の女性であるかを知った。彼女は、私のために祈ってくれていること、そしてもし私がイェシュアについて学びたいと思ったら、喜んで彼女の信徒たちに繋いであげる、と言ってくれた。

出会い

やがて私は、このイザヤ書53章の預言の意味を理解する必要があると考えた。私はついに『イザヤ書53章解説』の小冊子を開き、同時にヘブライ語聖書の原文を発見し、メシアについてのこの力強い預言を初めて読み始めた。読みながら、私はこう祈った。「あなたが誰なのか、このイエスが誰なのか分かりませんが、神様、お願いします、答えが欲しいのです。」と。その瞬間、私は形容しがたいものを感じた。 まるで2本の手が物理的に自分の手を握っているように感じ、全身が震え始めた。ようやく落ち着いた私は、すぐにアドリアナに電話し、彼女の会衆の2人の男性に連絡を取ってくれるよう頼んだ。モティとコスタは、テルアビブのダウンタウン近くにあり、デイビッド・トゥルーベックが指導長老として奉仕しているメシアニックコングリゲーションの素晴らしい男性ふたりで、彼らは私に手を差し伸べてくれ、私たちは一緒に新約聖書を学び始めた。

イェシュアへの帰郷

新約聖書を読みながら、私はいつも神の言葉だと知っていたスピリチュアルな概念、すなわち愛と光を発見した。読めば読むほど、学べば学ぶほど、イェシュアこそが私がいつも求めていた愛であり光であることに気づいた。私はモティとコスタの元で学び続け、毎週メシアニック・コングリゲーションの礼拝に出席した。

今日、私は自分の人生において長く困難な道のりを歩んできたのは、何も意味のないことではないことを深く理解している。そして自分のストーリーには分かち合い、暗闇の中にいる人々を助ける目的が与えられていることを理解している。そしてこの金曜日の夜、テルアビブのCPMメシアニック・センターで分かち合えることを嬉しく思う。イェシュアは唯一の希望であり、光。人生の最も暗いときでも、イェシュアに希望があるので、頭を上げることができるのだ。〈 イェチェル・アビブが証の内容を文書化したもの〉

親愛なる友人の皆さん、私たちは不安定で困難な時代を生きています。同時に、聖書の預言が現実のものとなる特別な時期でもあります。私たちはイスラエルの民が神の約束の地に帰還するのを目撃しており、今日、ユダヤの民は過去2000年のどの時期よりも福音に心を開いているのです。イェチェルの証しは、神がご自身の民を忘れておらず、神の計画が選ばれし民の生活の中で展開し続けていることを確認する多くの証しの中の一つなのです。

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