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  • Writer's picture ダビッド トゥルーベック

シヴタ― ネゲブの初期キリスト者農業


シヴタ― ネゲブの初期キリスト者農業

ネゲブ砂漠は、農業の豊かさについて考えるときに真っ先に思い浮かぶ場所ではないが、2,000年以上前から約1,500年前まで、砂漠の少し人里離れた場所で集中的かつ豊かな農業が行われていた。古代ローマ時代初期から、ネゲブの村人たちはこの不毛な土地を耕していた。

イスラエルのネゲブ砂漠の中心部では、キリスト者による集落の魅惑的な物語が展開されている。砂漠の風景が広がるなかシヴタという集落が、この地域の活気ある歴史の証として残っている。




紀元前1世紀のローマ時代初期に設立されたシヴタは、有名な「香の道/インセンスルート」の重要な中継地として繁栄した。この古代の道路網は、アラビア半島から地中海沿岸への貴重な香辛料や香水の輸送を容易にした。オヴダットとハルザの間に位置するシヴタは、「商隊の宿場/キャラバンサライ」として、この有利な交易路を横断する商人や旅行者に必要不可欠なサービスを提供していた。

魅力に満ちたインセンスルートは、広大な距離にわたり遠く離れた土地を結んでいた。その正確な長さと正確な経路はまだ完全には解明されていないが、古代貿易におけるその重要性はとてつもなく大きかった。イエメンから地中海沿岸に延びるこのルートは、メッカ、メディナ、ペトラといった重要な文化的中心地を繋ぎ、ガザやエルアリシュの賑やかな港にまで至っていた。難関のラモン・クレーターを含むネゲブを横断した区間は、比較的よくその繁栄ぶりが考古学的記録として残っている。今日、インセンスルートとそれに関連する遺跡群は、ユネスコの世界遺産に登録され、その歴史的・文化的重要性が保たれ広く知られることとなった。

キリストの教えの普及とともに、シヴタは変貌を遂げた。イエスへの信仰を受け入れたこの村は、キリスト者集落として繁栄を続けたのだ。驚くほど保存状態の良いシヴタの遺跡からは、この時代の住民の日常生活を垣間見ることができる。この賑やかな集落には約2,000人が住み、さまざまな職業に従事していたと考えられている。

現在のシヴタを探検すると、過去の名残がよみがえる。計画的に整備された街路、家屋、公共施設は、当時の高度な都市計画を示している。教会、家屋、貯水槽などの複雑な石造りの建造物は、シヴタの住民の建築技術・職人技を今に伝えている。農業用の段々畑や水道の跡は、砂漠の乏しい資源を糧にする彼らの機知を証明している。

7世紀、イスラム教徒がこの地域を占領した後、集落の生活は衰退し始めた。集落には莫大な税金が課せられ、大きな利益をもたらしていたワイン造りはイスラムの掟により禁止され、キリスト者達の聖地巡礼もイスラムの支配下で途絶え、すべてが完全に放棄され衰退した。シヴタはたった1つの遺跡に過ぎないが、その運命は初代教会時代の終わりにおけるネゲヴの衰退を証明している、と考古学者たちは断言している。

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