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  • ダビッド トゥルーベック

ストップ・ザ・ヘイト:反ユダヤ主義に対する教会の対応


今さら言うまでもないことですが、現在、西洋社会では反ユダヤ主義が急速に広まっています。それは政治的、思想的、社会的、文化的、経済的にあらゆる側面から生じています。それは、イスラエル国に対する反対運動のレベルの上昇を伴っています。しかし、そのほとんどは、政治的な左派や右派、そして反ユダヤ主義的な表現とおとぎ話を受け継ぐ宗教団体の「いつもの容疑者たち」に由来するものです。


なぜ国々は怒るのか?

私の知人のリベラルなイスラエル系ユダヤ人の中には、このことに困惑している人もいます。彼らは、イスラエルでのキリスト教徒、イスラム教徒も含め、最高裁判事、大学教授、大企業のCEOなど社会の要職に就いているアラブ人が多数いることを(正しく)指摘し、イスラエルがなぜいまだに世界中の多くのリベラル派から「アパルトヘイト政権」というレッテルを貼られているのか、不思議に思っているのです。イスラエルの隣国であるアラブ諸国のほとんどを含め、「アパルトヘイト」国家であるという基準を実際に満たしている国が他にもたくさんあるのに、イスラエルの不完全さを叫ぶ声はこれらの国々を完全に無視していながら、なぜイスラエルは影響力のある人々やNGOからこのレッテルを貼られているのだろうか、ということです。このような状況を説明できるものは一体何でしょうか。その答えは、イスラエルやディアスポラに住むほとんどのユダヤ人には理解できないことですし、イスラエルを支持する多くのキリスト教徒にとっても謎です。私はこう考えています。


聖書を信じるキリスト教徒でイスラエルを支持する人が必ず口にすることは、イスラエルの存在が聖書を通して信頼できるものであること、また、聖書に書かれている神が約束を守っておられることを思い起こさせてくださる、ということです。


しかし聖書信者のクリスチャンがあまり考えないことは、この世界に住んでいる多くの人々(実際は、この世界の大多数の人々)が、これらのことを思い出したくないと思っている、ということです。


しかし、イスラエルという国が実際に存在し、エルサレムという都市に首都があり、「アシュケロン」「アシュドッド」「ベエルシェバ」という聖書オリジナルの名前を持つ大都市があり、有名な「ガリラヤ海」「ヨルダン川」「ユダヤの砂漠」などを考えた時、「聖書」という書物がどうしても頭に浮かんでくるのです。そして、それとともに、その本で記されている神のことも思い浮かべます。それは、神が被造物に対して、その中で生きるようにと定めた規則や境界線を思い起こさせるものです。つまり、被造物が神様に故意に背いた場合、「結果」と呼ばれるものが生じることを、神様の御言葉を通して人類に警告されている、ということです。


この世界の大多数の人々にとって、聖書とそれが記述する神について思い起こさせられることは、非常に不愉快であり、不快感を与えることなのです。


この時代の終わりに近づいていることに伴い、これまで生きてきたすべての人間がキリストの御座の前に立ち、自分の人生について言い開きをする日が来ると、罪と背きに対する「結果」を避けることも無視することもできません。神と聖書を思い起こさせるものを必死で避け、無視しようとする人たちの怒りが増すことが予想されます。聖書を信じる人たちでさえ、イスラエルは神の絶対的主権と支配権を常に思い起こさせる存在として、時には悩んだり、苦しむことがあります。神の目的のためにイスラエルが選ばれたことは実は多くの人にとって面白くないことで受け入れ難いことです。神の絶対的決定権を信頼し、受け入れるためには、神の善意、正義、愛に対する信仰が必要なのです。神は私たちの相談や承認なしに全てのことを正しく裁くことを我々は受け入れ、信頼する必要があるのです


では、これらのことをどうしたら良いのでしょうか?

📷Christians United for Israel (CUFI)


いつものように、問題は「これに対して何をすべきか」ということです。私の考えでは、イスラエルや日本を含む世界中のメシアの体がもっと祈りを捧げなければならない霊的戦いの領域の一つであると思います。また、政治的見方を排除し、イスラエルに関する嘘を耳にしたら、真理を宣言する必要がある、と言うことです。


日本では反ユダヤ主義は一般的な思想ではありませんが、サタンは眠らず、ユダヤ人への憎しみで満たされ、反ユダヤ主義の種を撒き続けていることを忘れてはなりません。 私たちはこの社会を守らなければならないのです。


ディートリッヒ・ボンヘッファーや彼のようなキリスト信者が残した言葉は、過去においても、現在においても通用します。


「我々は不正の車輪の下にある犠牲者の傷に単に包帯を巻くのではなく、車輪そのものにスポークを打ち込まなければならないのだ。」 

ディートリッヒ・ボンヘッファー

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