ティシャ・ベアヴの断食は前日の日没から24時間続きます。
聖書時代には、神に仕えることを目的とした神殿が一つありました。 伝統によると、ティシャ・ベアヴは第一神殿と第二神殿が崩壊した日です。これらの出来事を踏まえると、なぜこの日がユダヤ人にとって悲しみの日と見なされているのか理解できます。
コリント人への手紙で使徒パウロは次のように書いています。「あなたがたは、自分が神の宮であり、神の御霊が自分のうちに住んでおられることを知らないのですか。」(第一コリント3:16)今日、イェシュアを信じる私たち自身が、神の住まわれる宮そのものです。つまり、神殿の奉仕を心の中で行うようになったのです。これらを考慮すると、次のような疑問が出てきます。イェシュアを信じる者たちはティシャ・ベアヴの時、断食する必要があるのですか、と。
第二神殿が建設され、神殿礼拝が新しくされていた聖書時代を詳しく調べてみると、断食の風習がありました。この時期にバビロンのユダヤ人指導者たちがこの質問を既に問いかけていました。
「ダレイオス王の第四年、第九の月、すなわち、キスレウの月の四日に、ゼカリヤに主のことばがあった。そのとき、ベテルは主の御顔を求めるために、サル・エツェルとレゲム・メレクおよびその従者たちを遣わして、万軍の主の宮に仕える祭司たちと、預言者たちに尋ねた。『私が長年やってきたように、第五の月(アブの月)にも、断食をして泣かなければならないのでしょうか。』」(ゼカリヤ7:1-3)
ゼカリヤの答え
「万軍の主はこう言われる。『第四の月の断食、第五の月の断食、第七の月の断食、第十の月の断食は、ユダヤの家にとって、楽しみとなり、喜びとなり、うれしい例祭となる。だから、真実と平和を愛しなさい。』」(ゼカリヤ8:19)
ゼカリヤによると、イスラエルの人々が悔い改めて、真実と平和を愛する律法を受け入れるとき、断食の日々が喜びの日々に変わると語りました。これは、彼らが王である救い主イェシュアの絶対的な統治を認識し、隣人と神との間に正しい平和な関係を持つ時ではないでしょうか。
選ばれた民のための断食
イェシュアを信じるユダヤ人の中には、イスラエル人が真理を完全に理解するように願い、ティシャ・ベアヴの断食をしています。完全な信仰によって、いつの日か、これらの日々は喜びの日々に変わります。その日、究極的なゴールは神が神の民と共にあるという御心であり、メシアの希望だと感じさせられています。
黙示録21:22-23
「私は、この都の中に神殿を見なかった。全能の神である主と子羊が、都の神殿だからである。都は、これらを照らす太陽も月も必要としない。神の栄光が都を照らし、子羊が都の明かりだからである。」
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