
2024年6月11日(火)の日没とともに、世界中のユダヤ人がシャブオットの祭を祝い始めます。この祭は、2024年6月12日(木)の日暮れに終わります。
シャブオット「7週の祭り」 レビ記23章16節
キリスト教では、この祝日はギリシャ名のペンテコステ(聖霊降臨祭)の方がよく知られています。ペンテコステという名前は、ギリシャ語で 「50日目」を意味する言葉に由来します。聖書の祝日名は「週の祭」で、過越の祭りの翌日からこの祝日までの7週間を指しているのです。シャブオットは四十九日を数えてから五十日目に祝われ、過越の祭りとシャブオットが直結していることを強調しています。
ユダヤ教の伝統によれば、イスラエルの民がエジプトからシナイ山まで旅するのに7週間かかりました。過越の祭りにイスラエルの民はエジプトの奴隷状態から解放され、シャブオットの日には律法を与えられ、神に仕えることを誓ったのです。過越の祭りは奴隷からの解放を意味し、シャブオットは神への献身と決意を新たにすることを意味します。しかし、シナイ山で神の律法が石の板に書かれたことは言い換えれば、律法はその人の一部ではなく、従わなければならない外的なものであったということになります。
使徒の働き二章(使徒言行録2章)では、聖霊はシャブオットの祭りの間に与えられたと記されています。ユダヤ人たちが神の律法を石の板に書き記したことを祝っていた同じ日に、聖霊が来られ、信者たちの心に神の律法を書き記され、預言が成就したのでです。
「見よ、主は言われる、わたしがイスラエルの家およびユダの家と新しい契約を結ぶ日が来る。わたしが彼らの手をとってエジプトの地から導き出した日に、彼らの先祖たちと結んだ契約によらない。わたしは彼らの夫であったにもかかわらず、彼らがわたしの契約を破ったと主は言われる。 しかし、これが、その日の後にわたしがイスラエルの家と結ぶ契約である。わたしはわたしの律法を彼らの心に置き、彼らの心に書き記す。そして、彼らはわたしの民となるだろうと主は言われる。」(ニューキングジェイムズの直訳 エレミヤ書31:31-33)
過越の小羊を犠牲にしてから50日後、イスラエルの民は神から契約(聖約とシナイ山)と約束を受けました。私たちの過越の小羊であるイェシュアの犠牲の50日後、信者たちは約束された新しい契約を神から受け取ったのです。
どちらの出来事も、新しく贖われた人々に起こったものです。シャブオットは出エジプトの後に起こり、イスラエル民族の誕生を告げました。ペンテコステはメシアの十字架と復活の後に起こり、信者の共同体、すなわち教会の誕生を告げたのです。
最後に、シャブオットの祝日の深い霊的意義をまとめたいと思います。シャブオットに直結する祝日である過越の祭りは、十字架上のイェシュアの犠牲によって、私たちが罪の束縛から解放されることを象徴しています。私たちがメシア(救い主)であるイェシュアが提供する新しい契約にあずかることを選び、彼を救い主として受け入れるとき、彼は私たちを罪と死の奴隷状態から救い出し、神と和解させてくださるのです。イェシュアの死と復活によって、私たちは罪の鎖から解き放たれ、神の国の市民としてイェシュアのうちに新しい命を与えられます。神の国の市民として、私たちはイェシュアを救い主と認めるだけでなく、主であると認めることが極めて重要です。私たちは、この世の規範とは異なる神の基準に従って生きるよう求められています。私たちは聖書から神の基準の知識を得ることができますが、聖霊の導きも必要なのです。聖霊の力によってのみ、私たちはイェシュアを主と宣言し、イェシュアの教えを生活の中で実践することができます。聖霊の導きによって、私たちはメシアの掟の原則を日々の生活に現すことができるのです。
だから、神の御霊の影響下で話す人は誰も「イエスは呪われている」と主張することは無いということを強調したいと思います。さらに、「イエスは主である」と心から宣言し、コリントの信徒への手紙第一 12章3節にあるように、イエスの基準に従って生きることができるのは、聖霊によるのみであると宣言いたします。
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