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  • ダビッド トゥルーベック

メシアニックジュダイズムにおけるメシア像


このクリスマスの季節に、私たちの救い主でありメシアであるイェシュア(イエス)の誕生に焦点を当てる時、イェシュアがその最初の降臨によって成就した、数々の重要な預言を思い出すことが重要です。これらのメシア預言は、メシアに関するいくつかの重要な疑問に対する、答えを与えてくれます。

メシアの誕生地

ミカ書5章2節は、メシアがどこで生まれるかという問いに答えています。「ベツレヘム・エフラテよ、あなたはユダの氏族の中で、あまりにも小さい。だが、あなたからわたしのためにイスラエルを治める者が出る。その出現は昔から、永遠の昔から定まっている。」と。

ユダ族に属する土地であるベツレヘム・エフラテは、エルサレムの近くにありました。北イスラエルにも、ゼブルン族のベツレヘムという同名の町がありました。ミカの預言があった紀元前720年頃、北イスラエル王国はアッシリアの捕虜となり、南ユダ王国も同じような混乱に陥ろうとしていました。


南ユダのベツレヘム・エフラテはダビデの故郷であり、ダビデ王との家族的な繋がりがあります。ダビデが兄弟の中で最も身分が低かったように、ベツレヘムもユダの中で最も名誉のない、最も小さな町の一つでした。この預言は、ユダで最も取るに足らない場所だった町が、イスラエルにとって最も重要な人物である約束のメシアを生むこと、を教えているのです。メシアはイスラエル(北イスラエルと南ユダ)の支配者であり、ダビデの約束の子孫です。

メシアの神性

ミカの預言は、メシアの出生地を示し、メシアの人間性を確認するだけでなく、メシアの神性をも主張するものでした。ミカは、ベツレヘムで生まれる者について、「その出現は昔から、永遠の昔から定まっている。」と書いています。イエスは永遠の昔から人類史に足を踏み入れておられ、父から送られて世の罪のために死なれたのです。しかし、イエス様は完全に神であると同時に、ベツレヘムという町で人間の子供として生まれた完全な人間です。ヨハネは福音書の中で、「初めにことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。」と書き、そして、「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。」と書いています。(ヨハネ1章1節14節)


ミカは、このメシアの王が、主の "強い力 "と "威厳 "をもって、また実際に主の御性質と調和して、"立ち上がり“、〝神の群れを牧する“(ミカ 5:4)ことを記しています。このことは、ミカの時代のイスラエルの指導者たちの失敗とは対照的です。ミカは3章1-3節で彼らについて「彼らは正義を知らず、善を憎み、悪を愛しています。」と書いています。王として民を導き人々の世話をするのは、イスラエルのメシアの、牧者としての役割です。メシアの偉大さが、究極的に民の安全を保証するのです。


これは、イェシュアの初臨と再臨の時に、特に王がその群れをどのように牧するのかという事に焦点を当てているかのように見えます。しかし、ミカのこの箇所は、狭い意味ではメシアの初臨について書かれており、メシアがどのように来られるのか、何処に来られるのか、また、何故来られるのかという疑問に答えています。


メシアは、ユダのベツレヘム・エフラテに、完全な人間としてお生まれになりました。またその出現は遥か永遠の昔からですから、メシアは完全に神であったのです。


そして最後に、メシアが何故来られたのかについて、ミカ書5章5節に、「平和はこのようにして来る。」とあります。この方は、私たちの罪の罰を受けるために、あの恐ろしいローマの十字架で死んで、私たちに神との平和をもたらす目的のために来られたのです。それが究極的な、この季節のメッセージなのです。

「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。」(ルカ2:11)

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