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  • Writer's picture ダビッド トゥルーベック

ユダヤ人のアイデンティティ--パウロの宣教成功の鍵



私の友人である石井田直二牧師は、日本での牧会奉仕とイスラエル支援に生涯を捧げている日本人牧師です。パウロが異邦人に福音を宣べ伝えようとしたとき、ユダヤ人であることが障害になったと考える日本のクリスチャンが多いと、彼は私に指摘したことがあります。その結果、パウロは自分の宣教を成功させるために適応し「異邦人のように」なったのだと。


直二牧師は私にこう尋ねました。メシアニック・ジューとして、この問題についてどう思いますか?と。私の正直な答えは、この件に関しては正反対だと思います、というものでした。むしろ、ユダヤ人であることが彼の宣教を成功させる重要な鍵だったようなのです。


私の頭に浮かぶ最初の例は、(使徒の働き13:16-41)にあるピシディアのアンティオキアでのパウロのメッセージの記録です。


この例では、パウロは旧約聖書に基づいてユダヤ的な説教を行っているのです。彼はユダヤ教のシナゴーグで語り、イスラエルに対する神の誠実さ(16-25節)、全体像としてのイエス様の死・復活(26-31節)、ダビデ王に与えられた旧約聖書の預言の成就としての復活(32-39節)、そして警告(13:40-43節)を強調しています。パウロは贖罪と約束のメシアであるイェシュア(イエス)の到来について語るのです。イエスの拒絶、十字架刑、復活を語り、タナフ(旧約聖書)の預言の成就を強調します。パウロは最後に、ユダヤ人と異邦人の双方を含む聴衆に、福音のメッセージを信じるよう促しているのです。


デイビッド、あなたは私(直二牧師)に素晴らしい事例を指摘しましたね。特に興味深いのは、ユダヤ人の立場からのパウロのメッセージが大成功を収め、会衆全員がパウロにもう一度話してほしいと頼み、異邦人を含む町の住民全員が次週パウロのメッセージを聞きに来たことだ、と彼は続けました。


アテネの失敗を解く


逆の例が使徒17:22-31にあります。ここでは、パウロが異邦人の言葉で話そうとしているのがわかります。哲学的なアプローチを用いれば、彼らにはずっと理解しやすいはずです。しかし、パウロはこの例では失敗したのです。この後、彼は二度と "未知の神 "の概念からメッセージをすることは有りませんでした。では、なぜピシディアでの説教が成功し、アレオパゴスでの説教が使徒達の期待した反応をもたらさなかったのか、を分析する必要があります。私たちは通常、神の永遠の約束とその成就はユダヤ人だけのメッセージで、異邦人には関係ないと思っています。しかし実際には、神の永遠の約束とその成就に関するパウロのメッセージは、多くの異邦人をも惹きつけました。こうしてみると、イスラエルの民の歴史は、神が人々に神を見てもらい、神をよりよく理解してもらうために行う大きなショーのようなものだと理解できます。タナフ(旧約聖書)の古代の預言を読み、ユダヤ民族の歴史の中でその成就を見るとき、それは私たちの信仰を強めるのです。神とイスラエルの民との関係を読むとき、私たちはこの関係を通して神のご性質を理解し始めるのです。


デイビッド、私もまったく同感だ!というのが、ひとつ目の例に関する直二牧師の回答でした。しかし私の経験から言うと、日本の多くの教会は人々の関心をイスラエルから積極的にそらそうとしています!未信者が教会に来てイスラエルの現代国家について質問すると、牧師たちはしばしば、「ああ、あのイスラエルは聖書に書かれているイスラエルとは何の関係もありません!」と突き放すように言うのです。


神の存在の絶対的証明


直二牧師はまた、メシアニック・ジューのデイビッド・ルドルフ博士が東京基督教大学に教えに来たとき、福音のメッセージを創世記3章からヨハネ3章に飛ぶような "省略版 "で教えるべきではないと強調したことを話してくれました。そうではなく、聖書とイスラエルの "全 "物語として福音を伝えるべきだと。このアプローチは、ピシディアのアンテオケ(使徒言行録13章)や他の多くの場所で起こったことと一致しています。私たちはこの例に倣い、創世記からヨハネの黙示録までのメッセージに基づいて伝道しながら、教会員らを教えるべきなのです。イスラエルの民の歴史は、神の存在と誠実さを確認するもう一つの証拠となります。最後に、プロイセンのフリードリヒ大王の話を紹介したいと思います。フリードリッヒ大王はある時、医師に〝神の存在の証明”を求めたと言われています。その時その医師は、"陛下、ユダヤ人が存在し続けていることです "と答えたのです

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