📷 FOX 10 Phoenix ヨム・ハショアは、ホロコースト記念日とも呼ばれ、ニサンの月の27日(過ぎ越しの祭りの7日目から1週間後、ヨム・ハジカロン(イスラエルの戦没兵士のための記念日の1週間前)に行われます。この日は、ホロコーストで亡くなった全ての人々のための記念日なのです。
📷 וואלה חדשות
イスラエルではこの日、ホロコーストの追憶を記念してサイレンが鳴り響きます。イスラエルの男性、女性、子供は皆、すぐに自分のしていることを止め、丸2分間、黙祷を捧げます。車を運転している人は、車を止めて静かに座り、すべての交通が停止するのです。世界が知る限り最大の悪によって残酷にも命を絶たれた人々を追悼するために、高速道路全体が停止する光景を想像してみてください。 杉原千畝
📷杉原一家(後列中央が千畝)
世界中のユダヤ人がヨム・ハ・ショアを記憶するこの日に、私は、第二次世界大戦中に何千人もの人々の命を救った、ある正義の男の物語を思い出したいのです。日本のシンドラー、杉原氏:第二次世界大戦中、数千人のユダヤ人を救った傑出した外交官
杉原は1900年に一般家庭に生まれ、平凡な環境の中で育ちました。英語の先生になるのが夢で、そのために勉学に励んでいましたが、経済的な困難が生じ、学業を中断しました。そこで、外交官として国費で留学できる交換留学生試験に合格することを目指しました。そして、ロシア語研修生に合格し、新たな人生を歩み始めたのです。 ハルビン外交官時代
ハルビンでその潜在能力を認められ、外交官としてのキャリアをスタートさせました。ちょうどその頃、ヨーロッパではヒトラーがナチスの独裁者として台頭し、ユダヤ人の生命を危険にさらしていました。
リトアニア・カウナス
杉原はリトアニアのカウナスに派遣され、日本領事館を開設すると同時に、ソ連に関する情報収集を行いました。当時は、ヒトラーのユダヤ人迫害が激化し、ユダヤ人の逃げ場がなくなっていた時期だったのです。 杉原の決断
📷領事館前でビザを求めるユダヤ避難民たち。(1940年)
ユダヤ人迫害が激化し、ユダヤ人難民が増加する一方で、門戸を開いてくれる国は限られていました。また、戦争が激化するにつれ、南欧や西欧の国々も難民を追い返していきました。1940年7月18日朝、カウナスの日本領事館にドイツ占領下のポーランドからユダヤ人難民が閉鎖直前まで集まってきました。日本への通過ビザを求めるためです。通過ビザを取得するための条件として、金銭(日本への往復と滞在費用)と、最終目的地へのビザが必要でしたが、難民たちは持っていませんでした。杉原は外務省に相談し、指示を仰がなければなりませんでした。杉原は、外務省に相談して指示を仰ぎ、外務省は、規則に従って条件を満たした人にだけビザを発給するように命じたのですが、杉原はそれを無視して、まったく無条件に全員に通過ビザを発給しました。
杉原はキリスト教徒であり、キリストへの愛から行動し、7月29日から9月4日のリトアニア出国直前まで、大量にビザを発給しました。ビザリストだけで6,000人以上です。そして、ついにリトアニア出国の日が来ました。杉原は、駅までついてくるユダヤ人難民のためにビザを書き続けました。そして、列車が駅を発つ直前、車両の窓から最後のビザを手渡したのです......。
当時は、世帯主がビザを取得すれば、パスポートに記載されている家族全員が入国を許可されたので、杉原の発行したビザによって、実に何千人ものユダヤ人の命が救われたことになります。
一人の命を救う者は全宇宙を救う
杉原と同じように、非ユダヤ人でありながら、金銭的な利益を得ることなく、命がけでユダヤ人を救った人たちがいるのです。彼らはユダヤ人を人間として見て、助ける義務があると考えたのです。
杉原が行った人道的行為は、さまざまな形で評価されています。1969年には、杉原がビザを発給した一人であるイスラエルのゾラハ・ワルハフティグ宗教大臣が、イスラエル政府から直接勲章を授与されました。1985年、杉原はイスラエル政府からユダヤ人の命を救った外国人に贈られる「諸国民の中の正義の人(ヤド・ヴァシェム賞)」を日本人として初めて受賞しました。
1986年7月、杉原千畝が死去。2000年10月10日、生誕100年を記念して、外務省外交史料館に記念プレートが設置され、杉原氏未亡人、杉原幸子氏らの出席のもと、除幕式が執り行われました。
イスラエルにおけるホロコースト生存者のためのミニストリー「チョーズンピープルミニストリー・Chosen people Ministries」の今
ホロコーストの生存者に奉仕することは、私たちにとって非常に重要なことです。この人たちは、人生でとても苦しんだのです。ですから、私たちは、メシアの愛と良い知らせをもって、この人たちに仕える義務があると思います。
残念ながら、イスラエルにいるホロコーストの生存者の多くは経済的に困難な状況にあり、協会からの援助を切実に必要としています。
イスラエルでは、毎月給料からお金を預けて、将来のための年金資金を積み立てています。残念ながら、ホロコーストの生存者の多くは高齢でイスラエルに来たため、年金を受ける資格がありませんでした。現在、これらの人々は、医療や生活のために十分ではない社会保障費で生活しています。私たちの協会は、このような人々を祝福し、ホロコーストの生存者に食料品などを支援するために活動しています。
イスラエルに住むホロコーストの生存者に手を差し伸べ、経済的に支援するために、「チョーズンピープルミニストリー」に贈り物をお願いいたします。
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