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Writer's picture ダビッド トゥルーベック

大学時代に、私の父は奇跡的に素晴らしい啓示を経験しました。

私の家族のルーツは、バルト海沿岸のラトビアにあります。第二次世界大戦前、この地域のユダヤ人の多くがそうであったように、私の家族もユダヤ人コミュニティとの結びつきが強く、シナゴーグへ行くことは毎日のように行われ、ラビはモーセそのもののイメージでした。


歴史の中で、イエス様が真のメシアであると信じているユダヤ人は常にいましたが、少数派でした。しかし、「シオンへの帰還」とともに、「最後の日」には、イスラエルが本来の信仰であるアブラハム、イサク、ヤコブの信仰に戻るという霊的な預言が実現しています。


私の家族も同じような救いの物語を経験しました。私の祖父は知的な青年でしたが、非常に懐疑的な人でもありました。ロシア全土に広がっていた共産主義のイデオロギーが彼を宗教から遠ざけました。さて、神は不思議な方法で動かれて、祖父を通して私の家族の救いが実現しました。

祖父 スターリンの像が後ろに有る 


第二次世界大戦…祖父の目から


1941年、国防軍の兵士がバルト海の国境に近づいてきたとき、ユダヤ人は逃げたいという基本的な本能を持っていましたが、「戒めを守る者は神が見守っている」と約束した宗教指導者の声と約束を聞いて、実際には留まるように説得されてしまいました。


一方、私の祖父は懐疑的な見方をしていたため 当時の宗教指導者の言葉には納得できませんでした。祖父は自分は留まらないことにし、近くにあったロシアの赤軍に入隊します 。ドイツ軍がついに降伏した時祖父が祖国(ラトビア)に戻ると、 自分の家族がナチスに殺されたと知ったのです。たった一人も残らずに。彼にとって、これが「宗教の嘘」を最終的に確信したことであり、それが宗教組織と戦う決意をするきっかけとなったのです。彼は「宗教は大衆にとって麻薬のようなもの」という言葉を心から信じました。それが彼を共産主義の研究に駆り立て、それまで以上に集中し、決意を固めたのです。優等生として勉学を終えた後、彼は共産主義の広報部で働き始めました。彼はすぐに出世し、共産主義紙と共産主義解説本の編集者になりました。


当時、聖書や新約聖書などの宗教書を所持していたものは誰でも、秘密警察(KGB)の地下室に長年拘留されるリスクがあったと知ることは重要です。拘留時に発見された宗教書は、KGBのオフィスの金庫の奥に厳重に閉じ込められていました。私の祖父は、仕事柄、それらを手に入れることが出来ました。それらを研究して、反論することが出来るようにするためにです。聖書が我が家に入った瞬間、目覚めの力がうねり始めました。神には別のご計画があったのです。


トウルーベック家の最初の信者の話を続ける前に、いくつかの点を見ておきたいと思います。二千年前、最初のキリスト信者は殆どがユダヤ人でした。


 📖彼ら(ヤコブとエルサレムの長老たち)はこれを聞いて神をほめたたえ、パウロに言った。「兄弟よ。ご覧のとおり、ユダヤ人の中で信仰に入っている人が何万となくいますが、みな律法に熱心な人たちです。…」〈使徒の働き21:20 新改訳聖書2017〉


それだけでは足りないとすれば、イエスご自身が弟子たちを、まず第一にイスラエルの家に派遣し、その後、異邦人にのみ派遣した点を加えます。


 📖イエスはこの十二人を遣わす際、彼らにこう命じられた。「異邦人の道に行ってはいけません。また、サマリア人の町に入ってはいけません。むしろ、イスラエルの家の失われた羊たちのところに行きなさい。行って、『天の御国が近づいた』と宣べ伝えなさい。…」〈マタイの福音書10:5、6、7 〉

 📖 しかし、聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります。」〈使徒の働き1;8 〉


しかし、第二神殿が破壊された後にイエスへの信仰が世界中に広まった時、福音を受けても人々は多くの習慣を捨てたくなかったので、彼らは既存の信仰に合わせようとし、その結果、今日私たちが「キリスト教」としている新しい宗教を作りました。初代テオドシウスは、西暦380年にローマ帝国の公教にキリスト教を定め、西暦392年にはキリスト教が唯一許される宗教であると宣言しました。


私の父の物語


16歳の少年だった私の父は、祖父の持っていた聖書と新約聖書を見つけ、そこに書かれていることに興味を持ち始めます。父はすぐに聖書の知恵と、愛に満ちたイエスの姿に恋に落ちていきます。彼は自分の信仰を両親に伝えますが、両親はショックを受け、恐ろしかったので、彼を説得しようとはしませんでした。一方、父は信仰を無視することができず、聖書の勉強を続けました。父はメシアに関する多くの預言がすべてイエスの生涯で成就したことを発見しました。


父は、イエスキリストを神と信じる人が他にもいるはずだこと思っていたので、探し始めました。リガの旧市街のシナゴーグを訪問して、何か導きや疑問に対する答えを見つけることを期待していましたが、当時のシナゴーグは実際の祈りの場というよりも博物館のようなものでした。振り返ってみると実際には、イエスをメシアと信じる小さな共同体が地下で目立たないように活動していたことがわかりました。

この段階で、父は街中に散らばっている教会にも捜索範囲を広げることにしましたが、それらもシナゴーグと同じように博物館のようなものでした。10年以上探していましたが、長い間期待していた大きな霊的覚醒が起こるまでは、彼はまだイエスキリストを神と信じていた唯一の人でした!

80年代の終わり近く、ラトビアの独立が鎮静化する前に、世界中から福音主義者のグループが信仰を共有し、地域教会を設立するために来始めました。私の父はすぐに彼ら繋がり、母も信仰を持つようになりました。信仰からかけ離れていた祖母も、好奇心から信者の集まりに足を運ぶようになり、信仰を持つようになりました。一方、祖父は信仰には至りませんでしたが、信者の善良な心と高い道徳心に驚かされ、家族の信仰に異を唱えることはもうしないと決めました。



私の個人的なストーリー

私は子供の頃、土曜日はシナゴーグ、日曜日は伝道的な教会に通っていたことを覚えています。一方では自分とユダヤ教の伝統とのつながりを感じていましたが、他方では、教会と関係があったあの期間、私はずっとイエス様のイメージが大好きでした。リガに最初のメシアニックジュー(メシア系ユダヤ人)のコングリゲーション(集会)が誕生し、トーラー、預言者、諸書、新約聖書の全てのものが整った瞬間のことを覚えています。これは、私がいつも心の中で感じていたこと、すなわち、古代ユダヤの伝統と、イエス様の驚くべきイメージは、互いに矛盾するものではなく、むしろ互いに補完し合うものであるということを浮き彫りにしてくれた出来事でした。それが古代の真理です。今日、私はメシアニックコングリゲーション(救い主がイエス様だと信じている集会)で奉仕しています。聖書的な基盤を通してメシアの王に仕えているという事実は、私にとっては当然のこととは思えない大きな特権です。



イスラエル

私の家族は「時が来れば、聖書の中で何度も語られているイスラエルに移住すること」を知っていました。私たちのシオニズムは聖書を通してその強い確信を得ました。エゼキエル書36章にはこう書かれています。


📖わたしはあなたがたを諸国の間から導き出し、すべての国々から集め、あなたがたの地に連れて行く。

わたしがきよい水をあなたがたの上に振りかけるそのとき、あなたがたはすべての汚れからきよくなる。わたしはすべての偶像の汚れからあなたがたをきよめ、

あなたがたに新しい心を与え、あなたがたのうちに新しい霊を与える。わたしはあなたがたのからだから石の心を取り除き、あなたがたに肉の心を与える。(エゼキエル36:24-26)。


私の家族はシオニズムの夢を実現し、1990年代半ばに聖地に来ました。メシヤ王イエシュア(救い主である王イエス)を信じるユダヤ人の家族として、「イスラエルのすべての人々が、約束の地で神の民となるために戻ってくる」というシオン復帰の預言の大きな奇跡の成就を経験しました。

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