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Writer's picture ダビッド トゥルーベック

神様の言葉を信じることは、神様との関係に影響します。


二人の人物を見てみましょう。

アブラハムと、(バプテスマの)ヨハネの父ザカリヤです。


創世記15章で、アブラハムは自分の名前を継ぐ息子がいないことを理由に、神様に叫びました。アブラハムは自分のためだけに生きていたのではなく、何世代も先を見据えていたことが素晴らしいです。彼は自分の子ども達の子ども達に祝福を与えたいと願っていたのです。しかし、地球上で最も神に近い存在でありながら、子どもがいないことを想像してみてください。アブラハムは神にその問題を提起します。


そして主は、彼を外に連れ出して言われた。「さあ、天を見上げなさい。星を数えられるなら数えなさい。」さらに言われた。「あなたの子孫は、このようになる。」アブラムは主を信じた。それで、それが彼の義と認められた。(創世記15:5)


彼は神を信じた。話は終わりです。


正直に言えば、アブラハムは途中で何度か壁にぶつかったことがあります。ある時、彼は”神を助ける方法”を思いつきました。そんなことしたことあります? まあ、それが彼のやったことです。彼は妻の召使いと寝て、息子を授かりました。しかし、その子は約束の子ではありませんでした。創世記15章で、神が彼に語られた時から、サラが子を産むまでに25年かかりました。その時、アブラハムは100歳になっていたのです。

自然界のあらゆるものが、神はあなたに語りかけなかったと叫んでいるように見えるとき、神を信じることは容易ではありません。


では、ザカリアを見てみましょう。「天使は言った、「恐れるな、ザカリア、あなたの祈りは聞かれた。」(ルカ1:13)


ザカリアは天使に言った、「わたしはどうしてこれを知ることができようか。私は老人であり、私の妻は年をとっているからです」。(ルカ1:18-19)


もし私が友人のザカリアと一緒にそこに立っていたら、「どうしてわかるのですか」と言ったかもしれません。「ガブリエルという天使があなたの前に立っているのです。これ以上証拠が必要なのか? 家に帰って、奥さんと愛し合いなさい。そうしないと何も起こらないぞ!」と言ったかもしれません。


天使は彼に言った「私はガブリエルです。私は神の前に立ち、あなたに話し、この良い知らせをもたらすために遣わされました。 見よ、あなたがたは、これらのことが起こる日まで、沈黙し、話すことができなくなる。」


ガブリエルはちょっとカチンときたようです。彼は、「本当に?私が誰だか知っているのかい?」と言いたげです。


しかし、この2つの話の素晴らしいところは、アブラハムは神を信じ、ザカリアは最初は信じなかった、ということです。しかし、神は私たちにかかわらず、その目的を果たされるのです。私たちが神を信じれば、物事は必ず良い方向に進みます。しかし、私たちがいてもいなくても、神はご自分の王国を築いていかれます。しかし、アブラハムやザカリアのように、私たちが関わることを望んでおられるのです。


アブラハムとザカリアのように、神は私たちを巻き込むことを望んでおられます。神は私たちを巻き込むことを好まれるのです。神の三位一体の本質は、父、子、聖霊の間の親密さです。イエシュアを通して、私たちはその親密さの中に入っていくのです。


神のご計画に参加しましょう!


イエシュアの信者、弟子として、私たちはイスラエルの人々のために、そしてエルサレムの平和のために祈る必要があります。良い知らせは聖地から来たのですから、私たちはメシアであるイエシュアの良い知らせを聖地にお返しする義務があるのです。神はイスラエルの民に忠実であり続け、彼らの救いのための計画を持っておられます。

祈りと支援を通して、私たちはイスラエルの人々のための神の計画の働き手となることができます。


エルサレムの平和とイスラエルの民の救いのために共に祈りましょう。イスラエルの子どもたちを祝福し、アブラハムとその子孫を祝福する者を祝福する、と神が約束された祝福を共に受けましょう。

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