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  • ダビッド トゥルーベック

聖書に基づいたユダヤ教の中絶に対するスタンス―



ユダヤ教では、中絶はその他の選択肢が残っていない時にのみ許された行為です。ユダヤ教でも中絶が行われる場合、恐ろしい悲劇が起こります。他に選択肢がないため、そうせざるを得ないのです。母親はたいてい、何かがひどく間違っているか、胎児が暴力的行為によって宿ったため、選択の余地なく恐ろしい窮地に追い込まれるのです。


中絶はハリウッドで起こっているような美化するべきものでもなく、私たちが望むものでもありません。中絶は選択でも、贅沢でもありません。他のすべての選択肢やオプションが閉ざされ、他に頼るところがないときの最後の手段なのです。


ユダヤ教では、女性がキャリアに専念したいや、準備が整っていない、また意図していない妊娠であったから、などという理由で妊娠を中絶する根拠は、どこにもありません(繰り返しますが、深刻な身体的また心理的なダメージや危険性がある場合は別です)。


聖書を通して、神は命の与え主であること、すべての命は尊いこと、生まれた人も生まれていない人も等しく人間であること、そして神はすべての子ども達に計画を持っておられることが分かります。神はすべての命を大切にされており、そんな神の意思に反し罪を犯す際、それに対する罰という結果が伴うことは明らかです。


律法では、誤って胎児を殺してしまった場合の罰として死刑が定められています。「もし人々が喧嘩をしていて妊婦を殴り、その女性が早産した場合、違反者は罰金を払わなければならない.しかし、重傷であれば、命には命をもって償うことになる」(出エジプト記21:22, 23)。


この罪に対する罰は死であり、これは必ずしも肉体的な死ではなく、霊的な死をも指しています。その証拠に、中絶の後ほとんどの人は後悔や罪の意識、精神的な落ち込みなどつらい境遇に出くわすことになります。



私たちのミニストリーを支援することは、社会に聖書的な価値観を広めることへの支援にもなるのです。

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