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Writer's picture ダビッド トゥルーベック

過越の祭りにメシア(キリスト)を見出す

あなたの家には先祖から伝わるものがありますか? 金持ちであってもなくても、屋根裏部屋や引き出しに、先祖代々受け継がれてきた宝があるかもしれません。写真かもしれないし、本かもしれない。ろうそく立てかもしれない。あなたは時々それを見てこうつぶやくでしょう。「これはいろんなことを語ってくれるんだよ。」

過ぎ越しの祭りのセデルの皿はそれに似ています。その皿が語るのはユダヤ人の物語です。セデルの皿は、メシアであるイエスが成し遂げたことを静かに証ししてくれます。 歴史の中の過越

セデルの皿は過越の祭の食事の中心です。カルパス(パセリ)、マロール(苦菜)、ハロセット(リンゴ、ナッツ、スパイスのペースト)、ズロア(子羊の骨)、ベイツァー(卵)が盛られます。

しかし、聖書を見ると、過越の祭りの始まりはもっとシンプルでした。

出エジプト記12章の最初の過ぎ越しの祭りで必要とされているのは、過ぎ越しの子羊、苦菜、種入れぬパンの3つだけ(出エジプト記12:8)。 では、セデルの残りの要素はどこから来たのでしょう? いつから登場するのでしょう?

答えは歴史の力です。ユダヤ人は自分たちの遺産を生かし続け、語り伝えるために、伝統を作り変えてきました(そのためにユダヤ人は神から与えられた能力を使いました)。過越の祭りを最も大きく変えた歴史上の出来事は、紀元前586年の神殿の破壊です。どういうことでしょう。その日からエズラとネヘミヤの下で神殿が再建される時まで、エルサレムでは子羊の犠牲をささげることができなくなったのです。

過ぎ越しの中心の出来事である犠牲が取り除かれたわけです。これが現実に起こったので、それまではセデルの要素ではなかったけれど、記憶として残され、具体的な方法で表現される必要がありました。 神聖なユダヤ文学における過越の祭

今日知られている過越のセデルについての最初の言及は、ミシュナーにあります。

Photo by Shlomi Znati

ミシュナーは、2世紀にユダ・ハ・ナシ(王子)によって編集されたユダヤ人の口伝律法を書物にしたものです。今の私たち(ユダヤ人)に馴染みのある過越の要素、4つの盃、野菜を塩水に浸すこと、ハロセット、4つの質問、ラビガマリエルのことば、祈りや詩篇などが書かれています。2世紀に書かれましたが、実際にはそのずっと前、おそらく数百年前から伝わっていたと考えられます。

偉大なユダヤ人の賢人、モーゼス・ベン・マイモン(マイモニデス)は11世紀に多くのユダヤ人の慣習を成文化しました。ユダヤ人信仰のもう一人のそびえ立つ学者であるヨセフ・カロは、1565年に印刷されたシュルハン・アルーフ(「整えられた食卓」)を執筆しました。これが、今日の伝統的な過越を祝う順序の土台となっています。 セデルの皿の芸術性

他の多くのユダヤ教の祝祭や行事でもそうですが、過越の祭りは芸術にさまざまな触発と影響を与えています。しかし、ルネッサンス以前は、美しく作られたセデルの皿は発見されていません。

西暦1000年頃のものでセデルの皿に似たものとして、ケアラと呼ばれるバスケットがあります。また16世紀以降、スペインとイタリアでは、木、磁器、銅などの素材で作られた美しいセデルの皿が見つかっています。 過ぎ越しの卵–犠牲と復活

セデルの皿の最も興味深い要素の1つは、ベイツァー(卵)です。

どうやってセデル皿に置かれるようになったか誰も知りませんが、この卵はイスラエルにとって、虐殺された子羊に代わる犠牲のもう一つの象徴となりました。犠牲が強調されるのは、贖いのために血が流されたことを思い出させるためですが、卵は、犠牲によって新しい生命が作り出される可能性を示しています。

面白いことに、この解釈は、初期の頃から教会に取り入れられました。 イースターエッグは以前はパシェエッグ(過越の卵)と呼ばれていました。これは過越の祭りとメシアの復活との最初のつながりを示しています。 セデルの皿が表すメシア

過越のセデルの皿には、苦しみ、犠牲、復活など、メシアの人生のすべての要素が含まれています。 それは、エジプトでの奴隷制から約束の地の自由へのイスラエル人の脱出を表すだけでなく、罪の束縛から永遠の命への私たちの脱出の物語を語ってくれます。

セデルの皿がずっと指し示してきた事が、メシアの内に見事に完成されてることを、私たちは見ることができます。過越の祭りはメシアにあって、創造主である王が讃えられ、礼拝され、喜びが永遠に続く宴となるのです。

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