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  • Victoria Trubek

過越祭の要素の重要性


パン種の除去 過越祭が始まる前に、罪の象徴であるパン種はすべて(1コリント5:6-8)、ユダヤ人の家から取り除かなければなりません。家の中を隅々まで掃除し、パン種の入ったものはすべて取り除かれます。ユダヤ人の家庭では、過越祭の準備のために、すべての、パン種のある食品を家から取り除かなければならないのです。今日、家庭のすべての人が自分の役割として家をきれいにします。昔は、この難しい掃除の仕事は、家の中の女性だけがやっていました。一日働いて、家の中にパン種がないことを確認した後、家の女性はパン種を少し残しておくのです。そうすれば、夫が仕事やシナゴーグから帰ってきたときに、そのパン種を簡単に見つけて捨てることができ、家をきれいにすることで自分の役割を果たしたように感じることができるからです。


旧約聖書でも新約聖書でも、「シャメツ」(パン種)は罪の象徴です。そして、その罪が私たちを神から引き離すことも知っています。今日、私たちが清い心で神を礼拝できるのは、イエス様が十字架上で代価を支払い、すべての罪から私たちを解放してくださったからです。彼は私たちのためにこのようなことをしてくださったのです。 手を洗う パン種が取り除かれると、家族は食卓を囲み、特別な樋とタオルを使って儀式的に手を洗います。イエス様もこの習慣に参加されましたが、手を洗うのではなく、食卓から立ち上がって弟子たちの足を洗い、私たちに比類ない謙遜の教えを与えてくださいました(ヨハネ13:2-17)。 ろうそくの点火


家と参加者が儀式的にきれいになったら、過越の祭りのセデルを始めることができます。家の婦人が祝福の言葉を述べ、過越の蝋燭に火をつけます。なぜなら、世の光であるメシア・イエスがこの世に来られたのは、女性を通してだったからです(創世記3:15)。








ハガダー

ハガダーとは「語る」という意味で、過越祭の物語を語ることです。なぜこの夜は他の夜と違うのか、なぜこの夜は他の夜と違うのか、など、子どもたちが投げかける4つの質問に答える形で物語が語られます。父親が「ハガダー」と呼ばれる本を読みながら、エジプトからの脱出・出エジプトの物語を語り、小さな子どもたちの注意を引きつけるために、シンボルやオブジェクトレッスン(物による教え)を使って物語を進めていきます。


今日、イエシュアを信じるユダヤ人のための特別なハガダーもあり、それは出エジプトの物語を、その物語の「完全な意味」と結びつけています。このメシアニックジューのハガダーでは、神の子羊の究極の犠牲によって、人類が罪の奴隷から贖われたことを取り上げています。メシアであるイエシュアは、十字架上の犠牲によって私たちの罪を負われました。

テルアビブのアウトリーチ・センターでは、毎年、過越の祭りを祝います。今年は、イエシュアを信じるユダヤ人のためのハガダーを使う予定です。例年、この地域の住民の多くは、私たちの会場での過越の祝いの行事に参加するためにやってきます。彼らの多くは、まだ未信者です。私たちの祈りは、このイベントを通して、出エジプトにおける過越の小羊と、メシアであるイエシュアが私たちの過越の小羊となったことの関連性に、彼らの目が開かれるようになることです。十字架につけられたイエシュアは、私たちの罪を引き受け、罪の奴隷からの解放を与えてくださったのです。


最初の盃のワイン


セデルは、4杯のワインのうち最初の1杯に唱えられる祝福で始まります。"我々の神、主よ、宇宙の王よ、ぶどうの実を創造されたあなたは幸いです。"。ルカによる福音書22章17-18節では、イエス様自身が最初の杯を祝福しています。



二杯目のワイン


二杯目は、十の災いと、主に心を閉ざしたエジプト人の苦しみを思い起こさせるためのものです。敵の苦しみを喜ばないために(箴言24:17)、十の災いの一つ一つを唱えながら、喜びの象徴であるぶどう酒を一滴ずつこぼし、他者の苦しみによって自分の喜びが損なわれることを思い起こすのです。



アフィコーメン

今、とても不思議な伝統が行われています。テーブルの上には、3つの仕切りのある袋と3枚のマッツァが置かれています。真ん中のマッツァを取り出し、割って、半分を袋に戻すのです。残りの半分は麻のナプキンに包んで隠し、後で食後に取り出します。これを「アフィコーメン」と言います。 セデル・プレート

ラビは、過越の祭りのセデルで小さな子ども達の注意を引きつけるために、一連のオブジェクトレッスンを考案しました。エジプトからの脱出に参加したような気分になれるように、各自が一品一品を味わいます。 カルパス - 青菜


最初に食べるのは、生命の象徴である青菜(通常はパセリ)「カルパス」です。パセリは涙の象徴である塩水に浸して食べます。これは、先祖の命が涙に浸っていたことを思い起こさせるためです。


ベーツァー - 焼いた卵


焼いた(ローストされた)卵は、神殿がなくなったために捧げることができなくなった日々の犠牲を焼いたことを思い起こさせるために、セデルの皿に載せられています。ユダヤ人は、過越の祭りのセデルの最中、神の前に義となる犠牲が無いことを思い知らされるのです。


マロール - 苦いハーブ


これは通常、ワサビを挽いたもので、涙が出るほど食べます(マッツアと一緒に)。贖罪の甘さは、奴隷の苦さを体験してみないとわかりません。


シャロセット


シャロセットは、刻んだリンゴ、刻んだナッツ、蜂蜜、シナモン、そして色付け用にマニシュウェイツのブドウ酒(過越祭用コーシャ)を少々混ぜた甘いものです。この甘く、ペースト状の茶色の混合物は、私たちの祖先がエジプトの地でレンガを積むために使用したモルタルを象徴しています。なぜ、これほど苦い経験を、これほど甘い物で思い出すのでしょう。ラビの洞察によれば、私たちの贖罪が近づけば、苦い労働も甘美なものになるということです。特に、メシアを信じる者にとってはそうです。主の到来が近いと知っているからこそ、苦い経験にも甘さを見いだすことができるのです。


子羊の すねの骨


ユダヤ人の家庭には必ず、セデルの皿の上に、子羊のすねの骨がむき出しになっています。出エジプト記では、神が民を奴隷状態から自由へと導いたとき、ユダヤ人の初子は、汚れのない無実の子羊の血を家の戸柱に塗ることによって、死の天使から免れたとされています。今日、私たちはイエスがその完全な過越の小羊であることを信じ、その血を心の戸柱に塗るとき、私たちも死から命へと、「罪の奴隷」から「神の贖われた子」としての自由へと導かれるのです。バプテスマのヨハネが、向かってくるイエスを見て言ったように、「見よ、世の罪を取り除く神の子羊よ」。(ヨハネ1:29) 食事について


過越の食事の間、子ども達はセデルのリーダーが隠したマッツァ(アフィコーメン)を探そうとします。子ども達はこのゲームが大好きですが、それは探すのが好きだからではなく、アフィコーメンを見つけた人には現金のプレゼントがあると知っているからです。


先に隠されていたアフィコーメンを誰かが見つけると、「これは祭司を象徴するマッツァだ」と言います。セデルのリーダーはアフィコーメンを取り戻し、それを小さく割って、過越祭りの参加者全員に分け与えるのです。つまり、祭司を象徴するこのマッツァを割って隠し、見つかったら参加者全員で食べなければならないのです。そう!今日、私達の中には、生ける神の祭司であるメシア・イエシュアというお方をまだ見つけられていない人が沢山いるのです。その人達のために、そして自分自身のために祈り続け、メシアにある福音・良い知らせを伝え続けることが私達に求められているのです。

📷Shlomi Znati 食事について


過越の食事の間、子ども達はセデルのリーダーが隠したマッツァ(アフィコーメン)を探そうとします。子ども達はこのゲームが大好きですが、それは探すのが好きだからではなく、アフィコーメンを見つけた人には現金のプレゼントがあると知っているからです。


先に隠されていたアフィコーメンを誰かが見つけると、「これは祭司を象徴するマッツァだ」と言います。セデルのリーダーはアフィコーメンを取り戻し、それを小さく割って、過越祭りの参加者全員に分け与えるのです。つまり、祭司を象徴するこのマッツァを割って隠し、見つかったら参加者全員で食べなければならないのです。そう!今日、私達の中には、生ける神の祭司であるメシア・イエシュアというお方をまだ見つけられていない人が沢山いるのです。その人達のために、そして自分自身のために祈り続け、メシアにある福音・良い知らせを伝え続けることが私達に求められているのです。


このことを考えるとき、私は私の民、イスラエルの民を思い浮かべます。歴史の中で、イスラエルの民は聖典を守ってきました。イエシュアはユダヤ人として生まれ、使徒たちは皆ユダヤ人で、初期の信徒たちは皆ユダヤ人で、彼らは地球の国々に福音をもたらすために大きな苦しみを味わいました。残念ながら、今日、ほとんどのユダヤ人は福音を知りません。イエシュアを信じる者として、クリスチャンとして、私達はイスラエルの人々に恩義があるのです。この困難な時期に、イスラエルの民を放っておくことはできません。祈りによってイスラエルの人々を支え、メシアであるイエシュアの愛を示す実践的な方法によってイスラエルの人々を支えるのは、私達の役目です。イスラエルの人々の救いのための神の計画において、私達は自分の役割を果たすことが求められています。イスラエルの民を愛し、イスラエルの民のために祈り、イスラエルの民にメシア・イエシュアにある良い知らせを宣べ伝えることです。 第三目の杯


食後に3杯目のワインを飲みます。これは「贖いの杯」であり、エジプトからの贖いをもたらした罪なき子羊の流された血を思い起こさせるものです。ルカ22:20と1コリント11:25に、イエスが三杯目を飲まれたことが書かれています。「同じように、夕食の後、彼は杯を取って言われました。『この杯は私の血による新しい契約です。だから、飲むたびに私を思い起こしてこれを行いなさい。』」。これはただの杯ではなく、奴隷から自由への贖いの杯だったのです。これが私達の聖餐の杯です。


第四目の杯


第四の杯は「ハレルの杯」です。ヘブライ語のハレルとは「賛美」を意味し、ヨハネ17章の美しい大祭司の祈りには、イエス様が過越の祭りのセデルである最後の晩餐の終わりに、主を賛美し感謝する時間を取られたことが示されています。汚れのない過越の小羊は、死に向かうとき、賛美を口にしていたのです。


エリヤの杯


過越祭の食卓の賓客である預言者エリヤの席は空席のままです。ユダヤ人は、過越の祭りに預言者エリヤがやってきて、メシアの到来を告げることを期待しています(マラキ4:5)。そのため、場所が用意され、杯にはワインが注がれ、エリヤが来て良い知らせを告げてくれることを期待するのです。食事が終わると、一人の子どもが(セデルが行われている部屋の)戸を開け、エリヤがそこにいるかどうかを確認するために送られます。毎年、その子どもはがっかりして帰って来ますし、預言者エリヤのためのワインは手をつけられることがありません。私の民はメシアを待ち望んでいますが、メシアがすでに来られたことに気づいていないのです。そして、その罪が私たちを神から引き離すことも知っています。今日、私たちが清い心で神を礼拝できるのは、イエス様が十字架上で代価を支払い、すべての罪から私たちを解放してくださったからです。彼は私達のために、このようなことをしてくださったのです。 親愛なる友人の皆さん、私の祈りは、主が皆さんを豊かに祝福してくださることです。

私たちユダヤ人と日本人が一つの大きな家族として、共に変化を起こし続け、世界中にイスラエルの友と真理の友を増やしていくことができますように。神様の祝福がありますように。私はあなた方一人一人を愛しています。皆様のお祈りと、私たちの「ユダヤ人への働き」へのご支援に感謝いたします。


チャグ・ペサハ・サメハ!!!

過越祭の祝福が豊かにありますように祈りつつ。

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