イエスの信者がイスラエル民族史の中で聖書預言の成就を見るとき、聖書が生ける神の言葉であるという私たちの信仰が強められます。
この短い記事では、20世紀のイスラエルの歴史の中で成就した預言の一例を挙げたいと思います。イス
ラエル国外の友人たちの間ではあまり知られていないので、この記事を書くことにしました。
その後、わたしは諸国の民に清い唇を与える。
彼らは皆、主の名を唱え一つとなって主に仕える。
(ゼパニヤ書3:9)
ヘブライ語からの直訳:
そして、私は再び私の民に明確な/美しい言葉(言語)をあたえる。
ここで預言者ゼパニヤは、神が明確な言葉を新たにするであろうと預言しました。
二千年の間、ユダヤ人は地球全体に散らばって亡命していました。
この事実はヘブライ語に大きな影響を与えました。
ヘブライ語は、祈りと律法を学ぶための言語であり続けました。
ユダヤ人は1日3回祈り、安息日にヘブライ語で律法を学びました。
しかしヘブライ語は、もはや日常生活の言語ではありませんでした。
子供たちは両親とヘブライ語で話しませんでした。
友人はヘブライ語で会話を持つこともありませんでした。
そして仕事の場でもヘブライ語で交渉することも全くありませんでした。
ユダヤ人が離散していたすべての場所で、ヘブライ語はもはや日常的に使用する言語ではなくなっていました。 自分たちが住んでいた他の国々での日常生活とコミュニケーションのために、ユダヤ人はそれぞれ離散した土地の言語を話すようになりました。
そんななかユダヤ人のコミュニティでは、ヘブライ語と現地の言語をミックスさせるという現象も起こりました。 ヘブライ語と現地の言語を混合させ、その混合物的な言語をユダヤ人コミュニティ内のコミュニケーションに使用しました。たとえば、イディッシュ語はヨーロッパのユダヤ人が話す言語で、ヘブライ語とドイツ語が混合されできたものです。
すでにヘブライ語を話している私の祖父は、イディッシュ語話者でもあります。
子供の頃祖父母は私にもイ
ディッシュ語を学ばせたいと思っており、私はそれを鮮明に覚えています。
別の例は、ユダヤ人がスペ
インとトルコで話すラディーノと呼ばれる言語です。ラディーノ語はスペイン語とヘブライ語を組み合わせたものです。
700年以上にわたって、ユダヤ人は他の言語と混合された、純粋ではない・汚れたヘブライ語を話していました。
しかし過去140年間、私たちはヘブライ語の復興を見てきました。 神はその恵みによって、預言者ゼパニヤを通して約束されたように、再びイスラエルの民に「清い」ヘブライ語という言葉・言語をお与えになったのです。
歴史上初めて、宗教的な儀式にのみ使用されていた言語が、日常生活に使用され生きた言語に変わりました。これもまさに、神が預言者ゼパニヤを通して約束されたことです。
そして、私たちは現代史で起こった神の奇跡を再び見ます。 ヘブライ語が近代化を遂げ、日常語として復活しました。現在、世界には950万人の日常的なヘブライ語話者がおり、今日もヘブライ語を話しています。
アブラハムに与えられた神の約束は永遠のものであることがわかります。
わたしは、あなたとの間に、また後に続く子孫との間に契約を立て、それを永遠の契約とする。
そして、あなたとあなたの子孫の神となる。
( 創世記第17:7 )
世俗的なユダヤ人でさえ、聖書の真理と神の摂理を心の奥底で感じています。 イスラエルの初代首相であり、世俗的なユダヤ人であったダビッド・ベン=グリオンはかつて、「奇跡を信じないすべてのユダヤ人は現実主義者ではない」と述べました。
私たちは預言が成就する特別な時代に生きており、イエスの信者として、祈りに立ち、救世主イエスの一つの体として団結することが私たちの使命です。
イエスの信者であり弟子である私たちは、イスラエルの民とエルサレムの平和のために祈る必要があります。
福音は聖地から来たものであり、私たちには救世主イエスの福音を聖地に戻す義務があります。
神はイスラエルの民に忠実であり続け、神は彼らを救う計画を持っておられるからです。
祈りと支援を通して私たちはイスラエルの民のための神のご計画に参画し、そのために働くことができます。 エルサレムの平和とイスラエルの人々の救いのために一緒に祈りましょう。
イスラエルの子供たちを祝福し、アブラハムとそのすえを祝福する人々をわたしは祝福すると、神がアブラハムに対して約束された、この祝福を共に受け取ろうではありませんか。
イェシュア・ハ=マシアによる皆さまの兄弟である、
デイビッド・トゥルーベック
(チョーズン・ピープル・ミニストリーズ 日本支部 代表役員)
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