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  • Writer's picture ダビッド トゥルーベック

まずユダヤ人たちにーローマ人への手紙1:16の意味


福音は、信じるすべての人のために、まずユダヤ人に、またギリシャ人に、救いをもたらす神の力であるからです。


ローマ人への手紙1:16の最初の部分はよく説教されるテキストですが、この節のなかの数語がしばしば省かれることがあります。福音はイエスを信じるすべての人に力強く有効であることを大胆に宣言した際、パウロは次のように明言しています― まずユダヤ人に、そしてギリシア人に。この記事を通して、メシアニック的な聖書神学という角度から「まずユダヤ人に」という原則を明確にし、その上で今日の教会にとっての意義を示せればと考えています。


「ユダヤ人を第一とする」という原則


はじめに使徒パウロは、ユダヤ人以外の民族を指す言葉として「ギリシャ人 」という単語を、「異邦人」と同義的に使っていることに留意するのが重要です。なぜパウロがこのような区別をしたかというと、新約聖書における民族的アイデンティティの持つ重要性と、大きく関係しています。この「まずユダヤ人に、またギリシア人に」という言葉を考えるとき、最も基本的で重要な問いは次のようなものがあります。



パウロが 「まず(第一に)」という言葉を使ったとき、それは何を意味するのでしょうか。

ルカ24:47でイエスが弟子たちに最後に言われた言葉は、「エルサレムから始めて、イェシュア(イエス)の証人になりなさい」というものでした。エルサレムは、使徒の働きの最初の7章で書かれている地理的な場所です。そして8章から宣教はサマリヤに拡大していくのですが、福音を聞いた最初の異邦人は10章に登場するコルネリウスでした。この出来事を受けイェシュアを信じるエルサレムの共同体は、神が異邦人にもいのちに至る悔い改めを与えられたと気付き、異邦人の受け入れに同意するのです(使徒11:18)。ここから、イェシュア(イエス)が昇天した後もこの時点までは、弟子たちは異邦人を受け入れるという決断を下していなかったことがうかがえます。イェシュアは自身の宣教を主に「イスラエルの家の失われた羊のため(マタイ15:24)」とし、当初は弟子たちに「異邦人の道にもサマリヤ人の町にも行かないように(マタイ10:5-6)」と、命じておられるのです。


使徒の働きを通して、エルサレムにあるユダヤ人ビリーバーたちの共同体は重要な役割を果たしています。最初の7章(ステパノの殉教)がエルサレムで行われ、使徒の働き11章ではペテロが共同体の指導者に相談に行き、15章ではパウロが最初のエルサレム会議に召集され、エルサレムを中心としてストーリーが進んでいます。パウロは使徒の働き13章から宣教の旅を始めますが、20~21章ではシャブオット(五旬節)の祭りにエルサレムに戻りたいと願い、21~23章もエルサレムを舞台としています。つまり、使徒の働きという書簡の28章のうち、地理的にはほぼ半分がエルサレムを舞台にしているのです。

このように、使徒の働き全体がエルサレムを中心に、ある種、求心的な形で動き・進んでいることは、エルサレムやユダヤ人から遠ざかろうとする遠心的な聖書の読み方が主流ななか、非常に重要な認識です。


エルサレムの指導者たちが、パウロとバルナバにキプロスへの最初の宣教の旅を命じたとき、彼らの使命は異邦人に福音を伝えることでした。ダマスコへの道でイェシュアから「異邦人への使徒」として任じられたパウロにとって、これは人生のなかで最も主要な使命となりました(使徒9:15、26:16~18)。しかし使徒の働き13:5を読むと、パウロとバルナバが最初に行った場所はユダヤ人の会堂(シナゴグ)だったと記録されており、矛盾しているようにも思われます。それ以上の説明はなく、最初に地元のシナゴグに行くというパターンは、どこの滞在先・国でも繰り返されています。


使徒の働きのなかで繰り返されているように(13:14; 14:1; 17:1, 10, 17; 18:4, 19; 19:8; 28:17)、パウロは旅した先々で、地元のシナゴグに行くというのが行動パターンになっています。

使徒の働き13:14

二人は・・アンテオケにやって来た。そして、安息日に会堂に入って席に着いた。

14:1 イコニオンでも・・二人がユダヤ人の会堂に入って話をすると、ユダヤ人もギリシャ人も大勢の人々が信じた。

17:1 テサロニケ・・にはユダヤ人の会堂があった。パウロはいつもののように・・

17:10兄弟たちはすぐ、夜のうちにパウロとシラスをベレヤに送り出した。そこに着くと、彼らはユダヤ人の会堂に入って行った。

17:17 パウロは、会堂ではユダヤ人や神を敬う人たちと論じ、広場ではそこに居合わせた人たちと毎日論じ合った。

18:4(コリントで)パウロは安息日ごとに会堂で論じ、ユダヤ人やギリシャ人を説得しようとした。

7:19彼らがエペソに着くと、パウロは二人を残し、自分だけ会堂に入って、ユダヤ人たちと論じ合った。

19:8 パウロは会堂に入って、三か月の間大胆に語り、神の国について論じて、人々を説得しようと努めた。

28:17 三日後、パウロはユダヤ人のおもだった人たちを呼び集めた。・・こう言った。「兄弟たち。私は、民に対しても先祖の慣習に対しても、何一つ背くことはしていない・・。


使徒の働き 17:1~2では、「パウロとシラスは、アンピポリスとアポロニアを通って、テサロニケに行った。そこにはユダヤ人の会堂があった。パウロは、いつものように人々のところに入って行き、三回の安息日にわたって、聖書に基づいて彼らと論じ合った」とあります。パウロが「いつもの(習慣の)ように」ユダヤ人の会堂・シナゴグに入った、というところからもこれは明確な事実であり、強調されてもいます。

そして宣教の末期・処刑間近になってもパウロは、ローマに到着すると、まず何をしているでしょうか。使徒の働き8:17には、「地元のユダヤ人の指導者たちを呼び集めた」とあります。


皆さま、使徒の働きにあるパウロの「まず会堂(シナゴグ)に行く」というパターンは、宣教に対して現在の教会が広く持つ考え方に対して、挑戦し一石を投じるものであり、なおかつ有益なモデルでもあるのです。

もし初代教会がユダヤ人への働きかけを重要視していたのであれば、なぜ多くのクリスチャンは初代教会を手本とせず(!)、ヨーロッパ・アメリカの教会を模倣するのでしょうか?西洋教会は、ユダヤ人との向き合い方において、使徒パウロや初代(使徒)教会の道を忘れてしまっているのです。

日本のイェシュアを信じる者・主の弟子として、私たちは「まずユダヤ人に」という初代教会の健全な理解・模範に戻る必要があるのです。

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