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  • Writer's picture ダビッド トゥルーベック

イェシュアはユダヤ教の祝日を祝ったのか?

Updated: Sep 22, 2023



イェシュア(イエス)という人物を完全に理解するためには、何よりもまず、イェシュアがユダヤ人であったことを理解しなければなりません。これは、彼がユダヤ人の家庭に生まれただけでなく、イェシュアの家族全体がユダヤ人コミュニティーの一員だったことを意味します。宗教はユダヤ人の生活に欠かせないものであり、宗教的なユダヤ人の生活[1]とは、神が定めた時・祭りを守ることを意味していたのです。


一般的に「ユダヤ人の祝日」と言えば、レビ記23章に要約されている聖書の祝日を指します。イェシュアが、同時代の他のユダヤ人と同様、聖書の祝日をすべて守っていたことは疑う余地がありません。もしユダヤ教の祝祭日を守らなかったとしたら、イェシュアはご自分を共同体から引き離すことになったでしょう。


福音書に記されているように、イェシュアが会堂(シナゴグ)に出席していたことは確かです。マルコによる福音書6章には、安息日が来るとイェシュアは会堂に行き、そこで人々に話しかけたと書かれています。また、イェシュアが会堂にいる間に人を癒したという例もあります。


イェシュアが聖書の祝日を守っていたことを示すもう一つの明確な証拠は、四つの福音書すべてがイエスの最後の過ぎ越しの祭を記録していることです。イェシュアは過ぎ越しの祭りを存分に祝い、祭りのすべての要素が満たされたことを確認し、過ぎ越しの食事の準備をさせるために前もって弟子たちを遣わされたのです。


タナク(旧約聖書)の中で、主はイスラエルの民に、世代を超えてこれらの祝いを守るように命じておられます。言い換えれば、聖書の祝祭日を守ることは、ユダヤ民族を他の国々から区別するための独自のしるしであり、約束でした。もしイェシュアが聖書の祝祭日を守っておられなかったとしたら、当時のユダヤ人としては極めて珍しく普通では無かったため、福音書にそのことが記されていたに違いありません。


さらに、弟子たちだけでなく初代教会も聖書の祝日を守り、祝い続けていたと私は確信しています。[2] ところが残念なことに教会の歴史が2世紀以降、ユダヤ人信者が異邦人信者より少なくなると、教会は聖書の祝祭日を祝うことをやめ、まさに教会の創始者であるイェシュア(イエス)の「脱ユダヤ化」を始めたのです[3]。


1. イェシュアは割礼を受けています。[ルカの福音書 2:21 八日が満ちて幼子に割礼を施す日となり、幼子の名はイエスとつけられた。胎内に宿る前に御使いがつけた名である。]。


・マリアとヨセフは "モーセの律法に従って "清めのために神殿に行きました。 [ルカの福音書 2:22〜24 そして、モーセの律法による彼らのきよめの期間が満ちたとき、両親は幼子をエルサレムに連れて行った。それは、主の律法に「最初に胎を開く男子はみな、主のために聖別された者と呼ばれる」と書いてあるとおり、幼子を主に献げるためであった。また、主の律法に「山鳩一つがい、あるいは家鳩のひな二羽」と言われていることにしたがって、いけにえを献げるためであった。]


・イェシュアの両親は "主の律法が要求すること "をすべて行いました。 [ルカの福音書2:39 両親は、主の律法にしたがってすべてのことを成し遂げたので、ガリラヤの自分たちの町ナザレに帰って行った。]


・イェシュアの両親は祭日を尊んでいました。 [ルカの福音書 2:41 さて、イエスの両親は、過越の祭りに毎年エルサレムに行っていた。]



2. エルサレムのメシア共同体のリーダーであるヤコブは、〝信じて律法に熱心なユダヤ人たち‘’ すべてを肯定的に指摘し、これらのユダヤ人信者の数万人は、〝パウロが律法を捨てたという偽りの報告‘’ を聞いたことに深い懸念を表明していました。[使徒の働き 21:20〜22 , 24. 彼らはこれを聞いて神をほめたたえ、パウロに言った。「兄弟よ。ご覧のとおり、ユダヤ人の中で信仰に入っている人が何万となくいますが、みな律法に熱心な人たちです。ところが、彼らがあなたについて聞かされているのは、あなたが、異邦人の中にいるすべてのユダヤ人に、子どもに割礼を施すな、慣習にしたがって歩むなと言って、モーセに背くように教えている、ということなのです。それで、どうしましょうか。あなたが来たことは、必ず彼らの耳に入るでしょう。ーーーこの人たちを連れて行って、一緒に身を清め、彼らが頭を剃る費用を出してあげてください。そうすれば、あなたについて聞かされていることは根も葉もないことで、あなたも律法を守って正しく歩んでいることが、皆に分かるでしょう。]



3. イスラエルの外で成長した教会は、残酷なまでに反ユダヤ的になってしまいました。ユスティノスからオリゲネス、クリュソストムからアウグスティヌスまで、事実上すべての教父がユダヤ人に対して深い反感を抱いていました。律法に従い続けるユダヤ人信者は異端視されました。使徒の働き15章は、異邦人を律法から解放したことで称賛されましたが、〝使徒たちがユダヤ人として生きたこと‘’ は忘れ去られてしまったのです。

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