もし、イェシュア(イエス)が新しい宗教をつくろうとしていたなら、そのやり方は間違っていました。彼は当時の宗教組織に対する疑惑や敵意を喚起しました。イェシュアは変わり者の集まりである弟子たちを選び、わざとご自身が危険な道を行くようにされ、自分に関する文書を残さず(宗教を始めたい場合は不可欠です!)、また良いスタートを切ったにも関わらず、群衆を従わせることができるような、更なるしるしと不思議を行うことを躊躇しました。
イェシュアの重要なメッセージは革命的なものではなく、単に彼の前にいた預言者たちの叫びでした。「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。(マタイ4:17)」彼の明確な目的は次のように局地的でもありました。「わたしは、イスラエルの家の失われた羊たち以外のところには、遣わされていません。(マタイ15:24)」そして、 彼を信じる者たちは大抵、彼の救世主としての主張を全く理解しませんでした。
それにも関わらず、イェシュアの教えと人生から新たな信仰が生まれたことは疑いの余地がありません。キリスト教とユダヤ教は、確かに異なる宗教です−ユダヤ教は母親であり、キリスト教は子どもです。キリスト教を始めることはイェシュアが意図したことだったのでしょうか?
いいえ、イェシュアは新しい宗教を始めるつもりはありませんでした。 イェシュアは人々を神へ立ち返らせるようとしたのです。 彼は「すべての人々」を彼自身に引き寄せようとしました(ヨハネ12:32)。ジョン・レノンは、「宗教がないと想像してごらん」と切なく歌っています。イェシュアは宗教的システムに夢中だったのでしょうか? 本当に大切なことは、私たちが悔い改め、神に立ち返り、神を褒め称えるために神の御言葉に従うことです。
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