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  • Writer's picture ダビッド トゥルーベック

ユダヤ式聖典の学び方を発見する

シナゴーグやメシアニック・コングリゲーション(正式に日本にあるのは一つで、トール : トゥリーオブライフ メシアニックコングリゲーション : Tol-Japan.org )に通ったことがある人は、聖書が週ごとに連続して読まれるのを聞いたことがあると思います。 シナゴーグでは、毎週読まれる聖句をパラシャー(parashah)と呼んでいます。各パラシャーの名前は、その聖句の最初の重要な言葉に由来しています。例えば、創世記の冒頭の詩は、ベレシトバラエロヒームBereshit barah Elohim、「初めに、神は創造された」とある。. . ." したがって、ヘブライ暦の最初のパラシャは、創世記1:1から6:8にまたがるベレシトです。


・パラシャ―の各部分

各パラシャーは、伝統的に、トーラー朗読箇所とハフターラー朗読箇所の2つの部分からなります。メシアニック集会の多くは、第三の聖書箇所としてブリッドハダシャーB'rit Hadashah(新約聖書)を加えています。

トーラー部分はパラシャ―の基礎となる部分です。トーラーには54の部分があり、1年の間にその全部が読まれます。ヘブライ暦が50週であることや、通常のトーラー部分が読まれない特別な祝祭日があることから、安息日には2つの部分が一緒に読まれることもあります。各聖書箇所の長さは週によって異なりますが、通常3章から6章が含まれます。例えば、パラシャット・ヴァイクラには、レビ記1:1ー5:26が含まれますが、次のパラシャであるツァヴゥTzavは、レビ記6:1ー8:36のみを扱います。

毎年9月か10月、ユダヤ教の大型連休が終わると、トーラーのサイクルが再開されます。シムハット トーラーSimchat Torah(律法の喜び)は、一年の聖書朗読のサイクルが終わり、次の聖書朗読サイクルが始まることを祝う祝日なのです。1つのサイクルが終わると同時に、次のサイクルが始まります。トーラーを何度読んでも、神の言葉にはまだまだ発見があります。この終わりのないサイクルは、ユダヤ教におけるトーラの中心的な役割を物語っています。創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記はユダヤ教のすべての宗教思想の基礎でなのです。

同様に、メシアを信奉する者は、聖書の他の部分がこれらの書物(トーラー)の上に成り立っていることを忘れてはなりません。例えば、天地創造、罪の問題、神とアブラハムとの契約、エジプトからの解放、イスラエルの土地への定住などです。これらのテーマはトーラーに始まり、聖書全体に響いています。「わたしが律法や預言者を廃棄するために来た、と思ってはなりません。廃棄するためではなく成就するために来たのです。まことに、あなたがたに言います。天地が消え去るまで、律法の一点一画も決して消え去ることはありません。すべてが実現します。」(マタイ5:17-18)。


・ハフターラー

2つ目は、預言者の箇所を意味する「ハフターラーポーション」です。ハフターラーの箇所は、一般的にその週に読まれるトーラーの箇所と関連しています。トーラーとハフターラーの朗読は両方とも決まっています。つまり、ハフターラーの箇所とトーラーの箇所は、常に同じ箇所から引用されるのです。

例えば、「シェモトのパラシャー」(Parashat Shemot)です。その週のトーラー箇所出エジプト記1:1ー6:1では、神がモーセに現れました。そして神は、モーセをエジプトに戻し、ファラオの前で神の口添えをするように指示しました。そして、「わたしはわたしである」(出エジプト記3:14)という神の名を明らかにされました。このパラシャのハフターラー朗読には、イザヤ書29:22-23が含まれています。 「それゆえ、アブラハムを贖い出された主は、ヤコブの家についてこう言われる。『今からヤコブは恥を見ることがなく、今から顔が青ざめることはない。彼が自分の子らを見て、自分たちの中にわたしの手のわざを見るとき、彼らはわたしの名を聖とし、ヤコブの聖なる者を聖として、イスラエルの神を恐れるからだ。』…(イザヤ29:22―23)。

イザヤ書の〈神の名を聖別する〉というテーマは、出エジプト記で〈神が神の名を紹介したこと〉と非常によく符合しています。イザヤはまたこの節で、〈主がアブラハムを贖った〉経緯に触れています。このセリフは、出エジプト記の最初の章から始まる〈神がイスラエルを奴隷状態から救い出したこと〉を思い起こさせるのです。


・ブリットハダシャー

多くのメシアニックコングリゲーション(イエスを信じるユダヤ人らの集会)は、パラシャット・シャブア(新約聖書)も載せています。これは、メシアニック・ジューのコミュニティ特有のものです。新約聖書をトーラーや預言書と一緒に読むことは、ヘブライ聖書(または旧約聖書)と新約聖書が対等の立場にある!という重要な主張です。聖書のすべての部分が神の言葉であるだけでなく、これらの書物はすべて、イエスがメシアであるという一貫したメッセージを指し示し、宣べ伝えているのです。実際に、ペテロも〈パウロの手紙〉と〈その他の聖書〉についてそのように書きました(第2ペテロ3:16 )。この言葉は、使徒たちの教えは、トーラーやハフターラーと同じように尊重され、研究されるべきものであることを意味しているのです。


様々なグループがそれぞれ提案をしてはいますが、ブリッド ハダシャーの朗読箇所の暦がトーラーやハフターラーの朗読箇所のように共通で決まっているわけではありません。メシアニック・コングリゲーションによって、同じ週でも異なる新約聖書箇所の朗読を行うことがあります。どのような暦を使うにしても、ブリット ハダシャー箇所は、通常、その週のトーラー箇所やハフターラー箇所に関連しています。

例えば、ミシュパティムの聖書箇所は、出エジプト記21:1ー24:18です。この部分では、イスラエルはシナイ山の周辺に集まり、モーセを通して神が与えた掟に従うことに同意しました(出エジプト記24章)。 新約聖書の朗読は、マタイによる福音書17章1-11節です。この箇所は、モーセとエリヤが山の上でイエスと話をした変容を語っています。どちらの文章もモーセの役割を強調しています。マタイはもちろん、神の子であるイエスがモーセよりもさらに偉大であることを示しています(マタイ17:5)。このようにトーラー、ハフターラー、ブリッドハダシャーを一緒に読むと、聖書全体にわたるテーマが見えてくるのです。


・パラシャとあなた

パラシャーのカレンダー(毎週の礼拝聖書箇所が印刷されている暦)に従うことは、聖書の読み方を構成するのにとても良い方法です。たとえ、これらの朗読箇所に固執する集会に出席していなくても、自分自身でそれを行うことができます。上に述べたように、各パラシャーの長さは様々です。通常、3つの部分を合わせると、聖書の6章から8章になります。毎日1章か2章ずつ読めば、1週間分を簡単に分割して読むことができます。 そのように、長い部分を読むことで、聖書の物語の流れがよくわかるようになります。分散して読むと分かりにくい繋がりも、まとまった量を読むとよく分かるようになるのです。ですから、時間があれば、トーラー全体、あるいはパラシャー全体を読んでみるのもよいでしょう。私たちは、神の言葉は力強く、効果的であると信じています。そして、ユダヤ教的な聖書の学び方は、聖書を深く学ぶための新たな一面をあなたに見せてくれることでしょう。


・我らがイエス・キリストのうちに持っている良き知らせを聖地に伝える私たちの働きのために、引き続き祈り支援してくださるようお願い致します。 ユダヤの民がメシアを知り、御聖霊 (ルアック ハコデシュ)を受け取るようになると、彼らはついに、彼らが発見したいと切望していた「トーラーの中の深い意味」を理解するようになるのです!


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